漂う川にも等しく星は降る

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映画log『まほろ駅前多田便利軒』感想

昨日、時間があったから数年振りに「まほろ駅前多田便利軒」の映画を観た。

これまで何度も何度も繰り返し観たことがあるので毎回思うのが、空気感が好きすぎる。

 

 

映画『まほろ駅前多田便利軒』

 

作品概要

あらすじ

まほろ市の駅前に位置する便利屋、「多田便利軒」。その経営者である多田啓介、そして彼の元へ転がり込んできた行天春彦。二人の下へ舞い込んでくる、どこか奇妙で、きな臭い依頼に係わっていくうちに、さまざまな人間模様が見えていく。痛快便利屋物語。

キャスト
  • 多田啓介(多田便利軒経営、バツイチ) - 瑛太
  • 行天春彦(中学時代の同級生、よく喋る変な奴) - 松田龍平
  • ルル(自称コロンビア人娼婦) - 片岡礼子
  • ハイシー(自称コロンビア人娼婦、ルルのルームメイト) - 鈴木杏
  • 三峯凪子(行天の元妻) - 本上まなみ
  • 山下(ハイシーのストーカー) - 柄本佑
  • 由良(小学生) - 横山幸汰
  • 山下の母(義理の母) - 梅沢昌代
  • 山田(弁当屋・囲炉裏屋亭主) - 大森南朋
  • シンちゃん(薬売人、ルルの友人) - 松尾スズキ
  • 岡(多田便利軒常連客) - 麿赤兒
  • 星(裏組織のボス) - 高良健吾
  • 早坂(まほろ署刑事) - 岸部一徳
原作
三浦しをんまほろ駅前多田便利軒』
監督・脚本
大森立嗣
公開日
2011年4月23日

 

まほろ駅前多田便利軒」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』2024年2月2日(金)11:02(GMT

URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/まほろ駅前多田便利軒

 

映画log(ネタバレ含む)

感想_2024年02月07日

もう何度観ただろう。東京に住んでいた頃にハマって、何度も何度も観た。この映画もドラマも。原作の小説は地元に帰ってきて、書店員をしていた頃に読んだ。小説と映画のギャップがなく、この作品は原作をリスペクトし原作愛に溢れた作品だと読了後に実感した覚えがある。

ちょっとまた読みたくなってきた。久しぶりに読もうかな。

 

永山瑛太さん(この頃はまだ瑛太さん)も松田龍平さんも好きな俳優さんで、大森南朋さんや鈴木杏ちゃんも大好き。大好きな人たちばかり出ている。今回見直してみて町田懐かしいー!みんな若いー!と思ったけど、柄本佑さんも出ていたのは今回初めて気づいた。柄本佑さんが出ている作品ってあまり観たことなかったから、今度深ぼって観てみようと思う。

 

映画公開が2011年らしく、気付いたらもう10年以上前の作品になっていた。時の流れがこわい。今の町田ってどうなっているのだろう。きっとこの頃と比べると大分変わったんだろうな。

2011年頃はまだ大学生だったから永山瑛太さん演じる多田さんの「子どもを失った悲しみ」は表面的にしか理解できていなかったけど、今回は観ているのが辛かった。冒頭でチワワと一緒にお墓参りをしている姿が、また胸を締め付けられた。

 

この作品で私は行天さんが好きなのだけど、特に好きなシーンは銭湯の帰りに行天さんが「あ、木蓮」と言い、凪子さんが多田さんに行天さんのことを話しているときにすれ違った人の持っていた花束を見て「あ、桔梗」という姿に2人が重なる。2人がどんな形であれ心を通わせてきたことがよくわかるシーンだった。

行天さんが、フランダースの犬のラストはハッピーエンド、と言っているのも印象に残るシーンだった。多田さんは行天さんのその発言にブチ切れる(この気持ちもわかる)。正直、私自身フランダースの犬を観たのは小学生くらいなのでもう詳しい内容を覚えていないけど、生からの解放(苦しみから逃れられる)と考えるとハッピーエンドなのかもしれない。凪子さんの話から行天さんの過去を知ることで、どうしてハッピーエンドと答えたのかがわかる。

フランダースの犬も大人になった今観たらどう感じるのだろう。観てみようかな。

 

柄本佑さん演じる山下と出会った町中華屋さんもいいよね。近所に美味しい町中華屋さん欲しい。由良公と一緒に食べていた餃子がとても美味しそうだった。

由良公の話は多田さん行天さんと出会えて本当に良かったと思う。もし自分の子どもが目先のお金欲しさ故にこういった過ちを犯してしまったらどうなるだろう。。。想像したくない。

山下は血は繋がっていなくてもお母さんと出会えて良かったよね。捜索願い出してくれて帰りを待ってくれて。こうなる前にお母さんの愛情がうまく伝われば良かったね。

親になって思うのは、クソみたいなパワハラセクハラ上司でも赤ちゃんの頃があったんだなって。当たり前だけど、みんな誰しもが子どもだったんだよね、って。人をつくるのは色々な要因があるだろうけど、どんな人でも特に幼少期は絶え間ない愛が注がれていて欲しいと思うよ。

だから山下も幼少期に辛い思いをたくさんしたんだろうけど、たくさんの愛が注がれてほしかったよ。そしてそれを信じられる環境であってほしかったよ。山下とお母さんはこれから変わっていくのかな。変わっていけたらいいよね。

 

親になって改めて見直すとまた違った感じ方があって面白かった。他の作品も、またこのシリーズも見直したいな。また見直して、新しく感じる部分が出てきたら追記していこうかな。

 

日記_20240206

以前から少しずつ作りつつも放置していたはてなブログを、また少し手直ししてはじめてみた。これからはこちらに書いていく。

 

暫く仕事を休んでいる。体調が優れないのもあるけどメンタル的な落ち込みもあって、正直逃げている。休み始めは何も手につかなかったけど、子どもたちには通常通り振る舞わないといけないことがしんどかった。生活をすることで精一杯だったけど、今日は久しぶりにU-NEXTで映画を観た。

 

まほろ駅前多田便利軒」の原作は、三浦しをんさんが書いた小説。最初は実写から作品を知ったけど、原作の小説もお気に入り。映画はいろいろ観るけど、私はやっぱり邦画が好きだと実感する。なんとなく、洋画と邦画で違いみたいなものは感じているけど今の私は言語化が難しいみたい。

また本を読んで、映画を観て、日記を書いていけば、自分の考えや感じていることをもっと言語化できるようになるかな。ここ数年で喋っている時も言葉が出てこなくなった。頭が動いていないんだと思う。

頭の中にある言葉の引き出しの前に、整理できていない思考の断片が邪魔をして引き出しを開けられなくなっているような感じ。

私の場合のこれは本を読んでいないとか、日記を書いていないとか、生きることに流されて自分を見失ってしまった代償なのだと思う。頭の中がとっ散らかっていて、整理してこなかったら探し物も見つからない。

 

自分を取り戻すことと今の生活は共存できるんだろうか。共存しなくてはいけないけど、何かを変えないと結局元通りになってしまう。正直まだ何が最適か見つけられていない。

子どもが産まれてから生きていく上での優先順位が変わり、私は一番下になった。やはり今は子ども優先になっている。それが一番ベストだと思ってる。子ども優先で考えたとしても、今の生活は子どもたちにとって、ちょっとしんどいのではないかと心配。

パートナーには自分のやりたいことをやっていてもらいたい。自分を犠牲になんてしてほしくない。家族のため、生活のため、とやりたくないことをやってほしくないし、合理性だけで考えて選択してほしくない。

本人たちの気持ちとは関係なく、もう全て私が勝手に思っていることだけれども。

 

これは日記というのか、チラシの裏というのか。ただただ今の私は迷っているね。まだ選択できない。どちらに進むにしても、覚悟が決まってない。

こんなんじゃダメだね。そろそろ腹を括りたい。

日記_20240205

合わない仕事をして、ちょっと色々頑張りすぎたら自律神経やってしまったみたい。頭痛と眩暈で仕事が手に付かなくなってしまった。

守らなければならないものも増えて少し腰が重くなってきているけど、体調に影響が出てしまうということは潮時なのだろう。

今の会社で得たものはたくさんあったけど、失ったものもたくさんあったような気がする。

 

録画していた番組を観ていたら、周りの期待に応えようと自分を見失いがちになってしまう俳優さんの話で、なんだかちょっと気持ちがわかる気がした。

まだ30数年しか生きていないけど、自分に合わないことを続けていると人生に強制的な手直しが入るときがある。今回の体調不良も強制的な手直しが入ったんだと思う。

あなたの向かう先はここじゃないよ、あなたが頑張るのはここじゃないよ、あなたが本当に求めていることと違うよ。ということなのだろう。

 

強制的な手直しが入ったは良いものの、今度はどこへ向かえばいいのだろうね。

「ひとつのドアが閉まったときには、また別のドアが開く。 」 -ミゲル・デ・セルバンテス

という言葉を思い出した。強制的な手直しが入ったら、別のドアを探しに行くタイミングなのかもしれない。

 

腰は重いけど、やはり辞めたいと思ったときが辞め時なのだろうな。説得されたり考え直したりしてもう一度頑張ったとしても、以前と同じ熱量になることは難しいし、もう求めるものは得られないのだろう。

大切な人を大切にするためには、自分を大切にしないといけなくて。分かってはいるんだけれど、私にとってはとてもとても難しい。